チョロン地区は、ホーチミン(旧サイゴン)市の行政の中心であるサイゴン地区から、五キロメートルほど南に位置する。歴史的にみると、このチョロンは、一七世紀末に中国南部から移り住んだ明朝の残党とその子孫らが、商業の中心地としてつくりあげた町である。

チョロンとは、ベトナム語で大きな市場(チョは市場、ロンは大きい)を意味する。フランス植民地時代、チョロンは米の取引を中心に、インドシナにおける経済の一大中心地として繁栄し、東南アジア有数のチャイナタウンに発展した。

チョロンの街は、サイゴンに比べ、いくらか雑然とし、騒々しいながらも、華人経営の卸・小売の店舗が建ち並び、人の動きも活発である。しかし、ある廟に参拝に来た五〇歳の華人男性は、私が日本人だと知ると、「ベトナム華人は、『辛苦』ですよ」と語った。

チャイナタウンとしてのチョロンのシンボル的存在は、多数の由緒ある廟である。豪華な造りで、規模も大きく、立派なものが多い。これは、ベトナム華人が、これまでいかに大きな経済力をもってきたかをよく示している。

多くの廟は同郷会館を兼ねており、代表的な同郷会館だけでも、穂城会館(広東人)、義安会館(潮州人)、瓊府会館(海南人)、福建会館(福建人)、崇正会館(客家人)などがある。
